金門島を巡る。清朝、明朝時代の遺跡やバロック&閩南レトロな水頭集落など。
金門島は清朝時代に多くの人が貿易や海外への出稼ぎで財をなし、故郷に錦を飾りました。
その時代に建てられた邸宅が今でも残り、観光客の目を楽しませてくれます。
それらの邸宅は東南アジア来たバロック建築と中国風と融合した洋館(番仔楼)で、
これらが金門島のあちこちに集落として残っており、現在では観光の目玉として改修が進み、
見学するだけでなく、民宿として宿泊も可能です。
また、金門島南西部の端っこの水頭集落やその近くの金門城跡などは、明の時代のもの。
金門城の北門や明遣古街などが観光客向けに復元されています。
これらの古い町を見て回るのに便利なのが台湾好行の観光バスです。
このバスは台湾全土で運行されている観光客向けのバス路線。
各地の観光地を巡り、バス停で自由に乗り降りできる行程のが一般的なのですが、
金門島は半日で1周する行程が組まれているので、途中下車する人は全くいない。
台湾本土の感覚で、水頭集落にバスが来る時間に民宿を出て(水頭集落に宿泊してた)
バスを捕まえて「乗れますか?」ときいてみたら、水頭集落に来た時点で満席だったっぽい。
しかし、そこは台湾。満席だったのにガイドの席?に座らせてくれました。
途中からでもツアー料金は満額でしたが、easy card(台湾のICカード)払いは代金半額キャンペーンをやっていたので半額だったし。(まあ、他のお客さんも全員半額ですけどね。現金払いじゃなければ。)
金門島はA~Dの観光地を巡るバスが出ておりますが、宿泊エリアの金門島西側エリアを回る、A線(水頭線)とB線(寧頭戦場線)の2つに参加しました。
レンタカーやレンタバイクで回れば、島の東側も行けたと思うけど、そこまであくせくしなくても~。ということで。
金門島の古い町並みや古い家屋をバスで巡るとこんなん。
水頭集落:前水頭中界洋楼群
かつて貿易で財をなした人が建てたバロック風と中華風が相まってできたと言われる金門島の老街を象徴する建物がここではないかと思われます。入場料・・・おそらく取られてなくて、無料で入れた気がする。(憶えてないがメモにも残っていない。)
洋風のコンクリート造りの頑丈な雰囲気と、部屋の配置を含めた中華風の作りが趣深い重厚な雰囲気の建物です。水頭集落観光では必ず訪れる場所の一つです。
水頭集落で宿泊した民宿。鳳毛麟趾民宿
金門島の閩南式住宅は中央の表門を正面に左右対称に建てられています。その中心に必ず先祖を祀る祭壇(日本では仏壇みたいなものか?)の立派な部屋がある。
そして、その中心の部屋から左右対象に寝室だの居間だのそれぞれの用途の部屋が別棟に建てられていました。(つまり、部屋に戻るのにいちいち外に出る。)
民宿はかつての古民家を宿泊できるようにリノベーションしてあり、調度品は近代台湾のものですが、門扉、外壁、屋根、中庭など、閩南式の風格あるたたずまいです。
特に門扉の彫刻や日本からの輸入品だという飾りタイルはレトロシックで素敵。宿泊しなくても観光客の見学を受け入れているようですが、オーナーは当然日本語がしゃべれないので、泊めて貰ってゆっくり見せて貰うのがオススメです。
金門城跡。北門と老街が復元。
金門の歴史は建武元年(317年)にまで遡ります。明朝時代には海賊の侵入を防いで住民を守るために「千戸所城」が建設されました。東西南北に門があり、内部には主要な町がありましたが、清朝時代に衰退。現在は観光用に復元された明時代の町並みがあり、内部が博物館などになっています。
バスツアーでは北門前を降り、明遣古街を散策して古いお寺を見たあとバスに乗りますが、その後バスは東門を抜けていくので、東門は見ることができます。
冒頭の文台宝塔とその周辺の虚江嘯臥碣群
虚江嘯臥石板は、明朝・清朝の2王朝の文人や貴人残した石の遺跡。金門千戸の兪大猷が書き記した「虚江嘯臥」が最初に有名となりました。文台宝塔のすぐ先に有り、その場所からは海も見渡せます。
このページ冒頭の写真である「文台宝塔」は、金門にある古い石塔で金門で唯一、戦火を逃れ、砲弾の損傷を受けていない明朝時代のもの。かつては航海の指標だったとか。
このように金門島では第二次世界大戦の戦火を逃れた明朝、清朝時代の遺跡がいくつも散見されます。予備知識を入れた上で訪れるとまた感慨もひとしおかと。
しかし、この遺跡のすぐ脇にコウリャン酒の工場があって、ごんごん酒が造られています。脇に近代工場の対比がなんとも。(そして、近所の人が酒で煮込んだ煮込み卵(葉氏酒釀蛋)売っていて、買い食いしてたら同じツアーの中国人も次々とつられて買い食いしてた。)
ちょっと地域はそれるけど、北部の古集落集落
台湾好行の水頭線とは違いますが、古戦場線で回るのが南山集落です。 こちらは水頭集落の様に観光用への整備がまだまだ進んでおらず、崩れたままの家も多い。
ちょっと気になったのが、民家や壁の穴が、年月で崩れて朽ち果てた物なのか、弾丸跡なのかといったところ・・・。弾丸跡の可能性が高いかなぁ。
ちなみに私が泊まった水頭集落も、住む人がいなくて廃墟になっていたおうちもありましたし、私が泊まった民宿はオーナー家族は裏に近代的なおうちを建てて住んでいて、民宿は完全に民宿オンリーでした。本当に古民家にずっと住み続けている人は少ないのかも知れません。