プユマ族婦女除草祭2017:祭りの後の後夜祭(宴会)
【昼の行事の後も二つの宴会をはしご。左の写真で花輪をつけたまま浮かれているのが私。】
それは台湾でも同じことで、祭りなどの民俗行事の時は嫁いだり、仕事の都合で別の街に暮らしている
親戚や友人たちが故郷に戻ってくるきっかけになります。
祭り=部落の公式行事が終わった後に、親しい人たちが集まって宴会となるのは当然の流れ。
そして、「友達の友達は皆友達」とばかりに、ひょいっと遊びに行った私のような部外者でも
「良かった飲まない?」と当然のようにお誘いをいただきます。
日本統治時代に原住民の方々の懐に入り込んで親しくしていた学者先生の手記を読んでみても、
酒を酌み交わして親しくなっていたりして、こういうとこ日本人と似てるよなぁとつくづく思う。
1件目:朝どれイノシシで宴会。イノシシって刺身で食べられるんだって!
最初の宴会は祭りの行事が終わってすぐに移動したとあるお宅で始まりました。プユマの祭りに来るたびにお会いする台北の大学の明先生(大陸の人)が親しくしているお宅で、 そこの息子さんが明先生とお友達関係でした。 明先生は私がお邪魔している高山舞集の林さんとも親しく、さらに息子さんのお母さんは林先生と同級生で、 ともうこの辺、親戚関係と友人関係が入り乱れます。
とにかく、ざっくり言えばみんな友達のようなもの。
こういうとき台湾の言葉がしゃべれればどこにでも加われるんですけども、
日本語だけなので、結果的にばあちゃんが気を遣って相手をしてくれます。
この日の宴会のメインディッシュは「バブイ」。イノシシです。
息子さんが朝捕ってきたという取れたてのイノシシを裁いて、刺身や湯引き(っていいっていいのかどうか) で肉やレバーをいただきました。
骨の周りの肉やその他のもつはでっかい寸胴2つ分くらいのスープになっていて、
次から次へとやってくるお客さんの胃袋に収まって行きました。
「日本ではこんなの食べないでしょう?大丈夫?」と盛んに心配されましたが、
日本では馬や鹿を刺身で食べますし、全然問題ありません。
ただ、イノシシは初めてだったので、「へえ~」って感じでした。ニンニク醤油味です。
詳しくは 世界の食べ物>バブイ babui [イノシシ汁と肉・内臓の和え物]
ただ、日本では例の事件以降、肉の生食を厚労省が制限してるのでもう無理かも。
ちなみに来訪者の手土産は、保力達、ビール、分解茶、オレンジなどでして、
日本のように菓子折を持って来る感じではなかったです。
「今日イノシシ獲ったからうちこいよ!」って気軽に声をかけ、「いくいく~」と二つ返事で応じて、 家にあるものを持って来る感じです。宴会に焼き魚も出てきたんだけど、おそらく誰かが持ってきたんじゃないかな。
突然連れてこられた私は当然手ぶらでしたけど、すいません。いろいろいただきまして。
2件目:民宿のロビーで飲んでいた若者に混ぜてもらってまた一杯。
一軒目の宴会を途中で失礼し、宿に戻ったらロビーで若者が飲んでました。社交辞令で「一緒に飲むか?」と言われて、「飲む!」と混ぜてもらう私。
こっちも向こうも酔っ払いなのでたいした問題ではありません。
若者はテイクアウトしたお惣菜や臭豆腐で飲んでいました。
お酒も保力達ではなくビール。それもハイネケン!年寄りとは銘柄が違う!
後で聞いた話では、この後、上海公演を控えていたようで、その打ち合わせをやっていたとかいないとか。 私が混ざったときは普通に飲み会でした。
しかし、突然、男の子がピアノを弾き出して、さらに女の子がピアノに合わせて歌い出して、 全く彼らの芸達者ぶりには感心しきりでした。
(でも全員プユマではなく、プユマとアミと漢民族の子が混ざってた。)
おまけ:一人で〆にアバイ。ばあちゃんありがとう。
飲んだ後の〆は炭水化物か甘い物がほしいけど、海外ではそうもいかないこともあります。しかし、今回は祭りの席でこっそりと長老がアバイを持たせてくれたので、 部屋に戻って一人、餅をむさぼり食べておりました。 お餅の中に甘辛い味付けの豚肉が入っていて、これを月桃の葉で包んで蒸して作ります。
日本では餅米を蒸してから搗いて作るお餅ですが、台湾では米粉から作ります。 豚肉の味付けは家庭によっていろいろ。塩味だけのご家庭もあります。
ちなみにこの数ヶ月後、ルカイ族の結婚式の準備を見学する機会がありましたが、
ルカイのおばあちゃんは粟の粉で作っていました。
豚肉はさばきたてのを入れてたので、味付けはせいぜい塩味だけだったと思います。
様々な民族の人たちに親しまれている料理みたいです。