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プユマ族婦女除草祭2017:最終日は長老宅で儀式と宴会!

薪の束
【婦女除草祭で準備された薪の束。参加者がもらって帰る。】
部落の外れで伐採した一本の細い木は、助手席と後部座席の二人が窓の外に手を伸ばしてどうにか抱え、
そのままずるずると引きずりながら車を走らせ、運びだしました。

車が向かったのは、同じ部落内にある一軒の家の前。
道路にはみ出て貼られたテントの下で、女たちがのこぎり片手にひたすらギコギコと木を切っていた。

我々ものこぎり片手にその輪に加わり、皆が持ってきた木を20cmくらいの長さに切っていく。
木片がある程度集まったところで、ひもでくくって束ねる。大体、5~6本くらいだろうか。

最後の最後だけ木を担いで走る
木を担いで会場入り
実はこの場所、今回の祭りの中心である、長老(一番年配の女性)の家の前。
持ち寄った木を切断して束ねているのは薪の束を作っていたのである。

その後の作業中も次々と女性たちが車や原付に木をくくりつけてやってきた。
わざわざ最後の20mの間だけ、車やバイクを降りて、木を担いで体制を整え、
歌いながら走ってくる女性もおり、そしてその姿をビデオに記録していた。

つまり本来は女性たちが各々木を切って、担いで、走って持って来るのだろう。
今は形だけ保存・・・というのは大猟祭と同じ感じ。
(大猟祭も公園の入り口まで車で戻ってきて、最後の入場だけをきちっとやる。)

ある程度の量の薪の束ができたかなというところでふと気づけばいつの間にやら30名ほどの女性が集まっており、
なんとなくの流れで、皆が席に着き、なんとなくの流れで歌や儀式?が始まった。
きっちりと「これから始まりますよ!」という合図がないのはいつものことだ。

聞けばこの婦女祭。今回は部落の1組と2組が実行委員となり執り行われていた。
かつては1組ごとに順番に実行委員を回していたが、人口減少により1,2組、3,4組と合同で行うようになった。
そして、この場所は1,2組の最も年配の女性の自宅前。
この長老をリーダーとして、1組と2組の若い女性たちが祭り全体を取り仕切るのだ。

長老を中心に参加者の女性陣がぐるりと輪になって座ったところで、一人の女性がかごに薪の束を乗せ、
順番に参加者の前で歌を歌いながら、籠ごと薪を差し出していく。
差し出された方は踊りながら返歌をし、薪を受け取る。
先ほどみんなで準備した薪は、参加者に振る舞われるいわばお土産のようなものだった。

いただいた薪の束
いただいた薪の束
外国人の私もプユマ語の歌を教わりながら薪をいただいたわけですけど、
「日本に持って帰ってね。」と言われたのに、うっかりその場でなくしてしまった。がびーん。
(あんな大きな物をどこでなくしたんだ・・・。)
わざわざ言うってことは、多分重要な意味を持つと思うんですよ。ええ。

一通りみんなが薪を受け取り、プユマの歌を歌ったりしてたと思ったら、
脈絡もなくテーブルと机が出てきて、女だらけの宴会が始まります。
これが婦女除草祭の最後のプログラムの慰労会です。
この婦女祭は、裏方仕事は男性がすべて引き受けるといいます。
おそらく、この食事を準備したのは部落の男性たちなのだろうと思われます。

台湾語、中国語のしゃべれぬ私はいつものことながらばあちゃんたちのグループに混ぜてもらい、
楽しくご飯を食べて、歌を聴き、一緒に踊って、散会となりました。
最後にこっそり紅包渡したら、挨拶させられたのは困ったけど。
宴席でながーーい挨拶をしてたおっさんが何人もいたのですが、あれは祭りに金を包んだ人だったようだ。
次回からタイミングをうまく考えよう。っていうか、次回はちゃんと1日目の除草から参加したいです。

若い子が都会に出てしまって、年寄りは亡くなって、年々参加者が減っているという伝統行事。
普通の生活の中でプユマ語を話すことも減り、プユマの歌をソラで歌える人も少なくなっています。
今のおばあちゃん世代がいなくなったとき、祭りの形も変わっていってしまいそうだけど、
時代を経て形が変わるのはどこも同じ。日本の田舎も小さな村祭りは存続さえ危ぶまれる感じだし。

こうやって、自分たちの文化を残そうと頑張っておられるところにいつも快く混ぜていただいて、
感謝するとともに、こうやって記録することで振り返り記憶に焼き付けておこうとおもいます。


プユマ族 婦女除草祭 二日目の儀式と宴会と

みんなで取ってきた木で薪を作る

細い木を鉈で切って薪サイズに
バイクで引きずって木を運ぶ
ある者はバイクで、ある者は車で引きずって、それぞれがいろんな場所で取ってきた細長い木。 それを集めてみんなで薪に加工します。
長老の家の前に張られたテントの下で、椅子や枝をまな板代わりにギコギコとのこぎりで切るのは壮年女性。
落とした枝や葉っぱは単なるゴミで捨てちゃうみたいなんだけど、持って来るときは必ず上の方に葉っぱを残すんですね。
これはなんか意味があるんでしょうね。

しかし、部落の女性全員が参加していたわけでもないからか、木の方が余っちゃって、 全部は薪にしませんでした。残った木はどうしたのかしら?
(きっとそういう片付けも男性がやるのであろう。)

みんなで木を加工作業中 薪の束を作る 木を立てかけます。よっこらせ 加工前の木を集めて立てかける

薪の束を振る舞う儀式

薪の束を来場者に振る舞う1
みんなで作った薪の束を年齢が高い方から順番に振る舞っていきます。
「来てくれてありがとう。差し上げます。」「ありがとう。いただきます」 といった意味の歌と踊りをしてるんじゃないかと思いますが、詳しいことを聞くのを忘れました。すいません。
プユマの歌なので、この儀式の前に、まずはみんなで歌の練習をしました。 そのくらい、プユマ語の歌が日常生活からなくなっているのでしょう。私も最後にもらいましたよ。
薪の束を来場者に振る舞う2 薪の束を受け取る 踊りと返歌をする女の子

おそらく亡くなった人へのお供えとお祈り

月桃の葉の上にアバイと鶏酒を盛ってお祈り
食事の時間になり、席に着こうとしたら「重要な儀式をするから来なさい!」と呼ばれたのがこれ。
月桃の葉の上にアバイと鶏肉が盛られたものが並べられ、お祈りなのか、おばあさんが小声で何かいいながら、 鶏肉の上に液体をかけていきます。思うに鶏酒だと思います。
儀式の最中におばあさんは感極まって泣いてしまわれましたので、多分亡くなった方かご先祖様への お供えとお祈りなんじゃないかなと思った。
鶏とアバイに祈りながら酒をかける お供えのご飯

プユマの行事にやっぱり宴会はつきもの。

宴会が始まる前の様子
最後は宴会です。というか、おそらく前日の行事の時も宴会してたはずです。 (晩ご飯の時、「今日は食べてばかりだったから腹が減らん」とじいちゃんがゆっていたので。) アバイ鶏酒、スープに天ぷらです。
ゲスト用のテーブル(男性スタッフや部落外の台湾人や中国人)も用意されていましたが、 言葉がわからないので、いつも日本語がわかるばあちゃんたちの席に混ぜてもらう私です。(つまり身内席。)
天ぷらはプユマ語でなんて言うのか聞いたら、「天ぷら」という名前しかない。と言われました。 日本統治時代にプユマに入った調理法なのかも。(日本もポルトガル語説ありますしね。)
宴会のごちそう 年長者たちのテーブル 宴会の後は歌って踊る

最後は長老にご挨拶してお開き。お疲れ様でした。

一人一人長老に挨拶して帰る
宴会が終わった後、ホストである2組の長老にご挨拶してお開きです。
参加した人たちにはティッシュが配られましたが、参加者が思った以上に少なかったらしく、一人2個ずつ回ってきました。

右下は長老のおばあちゃんにこっそりいただいたアバイです。
「みんなには内緒よ」っていただいて、夜中にこっそり食べました。
お餅の中に豚肉が入っていておいしいんですのよ。おほほ。
皆に手を振る長老 1組と2組の実行委員 参加賞にもらったティッシュ こっそりおばあちゃんにもらったアバイ

台湾台東の旅に行きたくなったら・・・物価と旅程の目安にどうぞ。

旅行時期:2017年3月
1NT$=約3.7円
■その他:紅包 2000NT$
■宿泊:イワホームステイ 適当に払いました。

■成田-台湾航空券 直行便で30,000円前後~。(参考:H.I.S. 台湾旅行
 台北便はLCC、チャイナエアラインが最も安く、続いてエヴァエア、日系という順で高くなります。
 LCCは夜中や早朝など時間帯が今ひとつな代わりに、台湾に早く到着できるというメリットもある。
 また、日本発が午後便だと台北での活動時間が減るので午前便より安い。
 高雄便もあるけど台北に比べたら本数も少なく、おまけに台北-高雄間は新幹線で2時間。
 お金と日程、旅の目的を計算して上手に選びたい。

 国内線は、台湾の航空会社で直接買うと中国語(繁体字)なので若干ドキドキします。
 今はエクスペディアで定価で買えるので、使うといいですよ。
 私の今回の台北-台東のチケットはエクスペディアで買いました。

以前の台湾旅で旅程を立てるために参考にした本やウェブサイト
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